先日、母が高校時代の親友と何十年ぶりに再会したそうです。母は地元を出て、転勤族の父と結婚し、東京やら日本を回った。友人は生まれ育った土地で家庭を築き、家を守って生きてきた。そんな二人の来し方行く末を語り合う時間。その方が手作りの干し柿を持ってきてくれて、お裾分けしてもらいました。わたしは卵焼きの上に、柿を細切りにしてぐるりと一周させてみました。名付けて「干し柿のキャンプファイヤー(笑)」。だがしかーし、家人は言うのです。「なんか、蛭のキャンプファイヤーみたいじゃない?」と。え?ええ?いや、見たことないし、蛭。そうなの?
ということで、家人画伯が直したのが2枚目。「せめてこのくらいで、余白の美を感じてもらわないと」いや、何言ってんだこのひと?と、朝からお互いに笑いあうスタートとなったのでした。ほんのり甘い干し柿には、母の友人の生きてきた年輪が濃縮されているようで、熟成したうまみ、滋味のようなものをじんわりと味わいました。しかし、蛭とは…(笑)
#アレンジ
ということで、家人画伯が直したのが2枚目。「せめてこのくらいで、余白の美を感じてもらわないと」いや、何言ってんだこのひと?と、朝からお互いに笑いあうスタートとなったのでした。ほんのり甘い干し柿には、母の友人の生きてきた年輪が濃縮されているようで、熟成したうまみ、滋味のようなものをじんわりと味わいました。しかし、蛭とは…(笑)
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